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「やっぱり知りたい!ハイデガー」ー存在と時間篇ー

ハイデガーの『存在と時間』は、その多方面への多大な影響にもかかわらず、お世辞にもあまりとっつきやすい本とは言えないのではないかと思います。その理由の一つには、「現存在」「世界-内-存在」「時熟」…等、ハイデガー特有の言葉遣いがあるのではないでしょうか。本講座は、主に『存在と時間』に登場するハイデガーに特有の用語を一語一語平易な言葉で、しかし理解の水準を下げずに解説し、それを通してハイデガーの考え全体を読み解くことを試みます。また、ハイデガーの哲学には、通常の学問分野の分節を超えた多様に豊かな事柄が詰まっているので、ハイデガーという名前をこの講座ではじめて聞くという人でも、あるいは「哲学」に初めて触れるという方でも、なにかしら琴線にふれること、来たかいがあったと思っていただけることがあるような講座を目指します。

ハイデガーを読む場合、概説書を読んだり、ざっと始めから終わりまで読み通すこともよいかと思いますが、むしろ、特に重要な箇所を一字一句丁寧に読んだ方が逆に全体の理解が進むところも多分にあるように思います。場合によってはドイツ語原典も参照しつつ(ただし、原文を通してその本来のニュアンスが伝えている事柄を理解することが目的であり、講座ではそれを解説させていただきますので、受講される方ご自身がドイツ語が読める必要はありません)、丁寧に読んでいきたいと思います。

スタイルとしては以上の方法をとりますが、扱うテーマとしては、ハイデガーを通して

1.時間とは何か

(キーワード:時間は折れ曲がる/人間の水平的時間と、それを分断する垂直的時間/「人生」における死と再生/パラダイムとは何か/過去は変わるか)

2.自由とは何か

(キーワード:近代化に伴う選択性の増大と意識の肥大化/自由と不自由/自由と必然性/受動性/運命)

3.言葉とは何か

(キーワード: 文体と内容/言葉の多義性/日常的な言語使用と詩 的な言語使用 /詩と時間の関係/詩と存在の関係)

等について問いたいと考えています。どのテーマを扱う際も、「哲学」や「ハイデガー」に関心のない方でも面白いと思ってもらえる内容を目指します。 

 
 
日程:
第1回 「時間とは何か」・・・2016年7月17日(日) 19:00-21:00 → 終了いたしました。
第2回 「自由とは何か」・・・2016年8月28日(日) 19:00-21:00 → 終了いたしました。
第3回 「言葉とは何か」・・・2016年10月22日(土) 19:00-21:00 → 終了いたしました。
 
 
会場:京都出町柳 GACCOH(京阪電車「出町柳駅」2番出口より徒歩5分)
参加費:各回1,000円
 
 

ナビゲーター:
貫井 隆(ぬくい・たかし)

京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程
 
 

参考文献

入門:『四つのゼミナール』
私はハイデガーの作品は全てが「入門」であり「上級」でもあると考えていて、どれが「入門」かを決めることはとても難しいのですが、この『四つのゼミナール』を選んだのは、次の一節が含まれているからです。「ハイデガーは、彼の仕事の仕方がマールブルクで批判を惹き起こしたことに言及する。初めのうち学生たちはこう言った。学期全体を通して我々は、プラトンの『ソピステース』を終了することさえなかった…と。我々の演習について言えば、とハイデッガーは続ける、テクストの数行以上を扱うことができるかどうか確かでない。しかし一つだけ確かである。それは、もしこれが会得されるなら、我々はヘーゲルの書の全体を読むことができるようになる。これが、ゼミナールの秘訣である」(『四つのゼミナール』邦訳22ページ、ハイデガー全集のドイツ語原文25ページ)。

ヘーゲルを読む際に限らず、ハイデガー自身の文献読解スタイルは、「たった数行」にその著者の「全体」を見出そうとするものと言えると思います。そしてハイデガーにとっての「全体」とは、ある文献の「全体」(はじめのページから終わりのページまで)ではなく、事柄の「全体」のことであり、それを問うに際して、当の文献やその著者に関して言わば「博識」であること(それらについて「物知り」であること)は必ずしも必要ではないのかもしれません(『思惟とは何か』という講義では、次のようにも言っています。「いかなる博識もこの問いへの答えを見つけ出すことはできない。ある思惟によってのみ、このことについて問い求めることができる」(ドイツ語原文95ページ))。これは、事柄を問うためには(一般的に「博識」だと言われることの多い)「学者」である必要は必ずしもないという「自己批判」をも意味するのではないでしょうか。この前提に立ってはじめて、一般的に「学者」の卵と言える私自身と、ふだん「哲学」や「ハイデガー」というトピックを主題的に考えて過ごしているわけではない(?)皆さんが「共に」考えることのできる「場」が開かれるのではないかと思っています。その場に入る意味での「入門」として、この本を紹介させていただきます。(しかし、博識が必要なわけではないとすれば、事柄を問いうるためには一体何が必要なのでしょうか?)

中級:『ハイデッガー カッセル講演』(特に91-105ページ)(平凡社)
『存在と時間』の内容を凝縮したと言っても過言ではない内容のハイデガー自身による講演です。ハイデガーの講演・講義はその著作の難解さとは対照的に明快な語り口で有名ですが、この講演も例にもれません(とは言っても、やはりハイデガー独特の語り口における明快さではありますが)。さきほど「初級」も「上級」も決めかねるなどと悩んでいたにもかかわらず、ここでは極めて「普通のこと」を言うことになってしまいますが(笑)、最初から『存在と時間』にチャレンジするよりも、こちらを先に読んだほうが『存在と時間』でハイデガーの論じようとしていることのイメージが掴めるのではないでしょうか。『存在と時間』の言わば著者自身による解説としてこれをお勧めします。

上級:『存在と時間』
解説書を読むことが、ガイドブックや地図を見ながら現地を想像することに相当するとすれば(つまり「現地レポート」であるとすれば)、原典を読むことは、自分自身の足でその地に降り立つことを意味すると思います。原典を読むことは、頭だけで考えることというよりは、実際に身体を動かす「体験」に近いものだと思います。頭だけで考えたことは記憶が風化すれば忘れてしまうかもしれませんが、五臓六腑に深く刻み付けられた体験は時間を超えてずっと後にまで残ります。『存在と時間』は現在、何種類もの訳が出ています。ぜひご自分の相性のよい訳を見つけていただき、幾多の解釈が乱反射する『存在と時間』の“現場”を体験していただきたいと思います(そのためには必ずしも全てを読み通す必要はなく、自分が気になったところを反芻するのでも十分だと私は思います)。この講座では、私の「現地報告」をただ聞いていただくのではなく、全員で現地を「訪問」したいと思っています。
 
 


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